わたしたちに馴染み深い地震。その多くは、地球上の帯状に限られた領域で集中して発生します。特に、太平洋を取り巻く領域は地震帯であり、私たちの国はまさにこの地震帯の上に存在します。日本周辺では、全世界で発生する地震の約10%が発生しています。こうした地震帯に位置する日本ですが、現在の科学の力では、肝心の地震が、何月何日、どの場所で、どのような大きさで発生するかをあらかじめ明らかにすることはできません。こうした環境の中で私たちは暮らしています。ですから、地震について正しい知識を知り、建物の耐震化などあらかじめとるべき対策をきめ細かく行い、地震が発生した場合の対処方法を身に付けていく必要があります。地震がもたらす様々な被害を、過去の事例からいくつか紹介しましょう。 住宅の倒壊
阪神・淡路大震災での住宅倒壊の様子です。全壊の住宅は約10万棟、半壊は約15万棟にのぼりました。震度7の「震災の帯」といわれる地域を中心に、多くの古いかわら屋根の木造住宅がつぶれ、多数の方がその下敷きとなり、一瞬にして命を失いました。ブロック塀などの倒壊
昭和53年5月に発生した宮城県沖地震で、道路脇のブロック塀が倒壊した映像です。この地震で宮城県内では27名の方が亡くなりました。内17名はこうしたブロック塀や石塀などの下敷きとなった方で、子どもと高齢者が多いのが特徴でした。ブロック塀や石塀などが倒壊する事例は平成13年3月の芸予地震など未だに多く見られます。津波被害
昭和58年5月に起きた日本海中部地震での津波です。この地震による死者は104名を数えましたが、内100名は津波によるものでした。「日本海に津波はない」という間違った認識が、遠足に来ていた小学生、釣りをしていた人たち、港で働いていた人たちの命を奪ったと言われています。平成5年7月に起きた北海道南西沖地震の北海道奥尻島です。震源に近かった奥尻島は、地震発生後4~5分という早さで津波の第1波に襲われました。そして、180名ほどの人たちが尊い命を失いました。ここで紹介した日本海中部地震や北海道南西沖地震では、津波警報よりも先に津波がやってきました。地震火災
再び、阪神・淡路大震災の映像です。神戸市では地震直後に175件の火災が発生し、木造家屋の密集地が次々と燃え広がりました。火災が同時に多発したこと、地震の揺れで断水し消火用の水を確保できなかったことなどが延焼拡大の主な原因でした。倒壊した住宅から脱出できずに焼死した方は500名以上にものぼりました。危険物等施設の被害
平成15年9月に起きた十勝沖地震での北海道苫小牧市の石油タンク火災の様子です。タンク火災は、昭和39年6月の新潟地震や昭和58年5月の日本海中部地震でも起きました。昭和53年1月に起きた伊豆大島近海地震の様子です。伊豆半島中部の鉱山から猛毒のシアン化ナトリウムを含む多量の廃水が川に流出、その後駿河湾に流れ込み、魚介類に大きな被害が出ました。地盤の液状化
地震による液状化対策のきっかけとなった昭和39年6月の新潟地震の様子です。新潟地震では、液状化現象により、新潟市内の鉄筋コンクリート建築物の2割以上が倒れたり、傾いたりしたと言われています。地震水害
新潟地震で、旧信濃川の護岸が多くの箇所で決壊して市内の0メートル地帯が浸水した様子です。さらに、津波によってその被害は拡大しました。その他、歴史的には、川の下流の土地が隆起したり、山崩れが生じて川がせき止められ、水害が発生した例もあります。土砂災害
昭和59年9月の長野県西部地震で発生した土砂災害の様子です。木曽御岳山の麓で発生したこの地震により、8合目付近から山崩れが起こり、引き続いて起きた大規模な土石流が人や建物をのみこみました。29名の方が命を落としましたが、全てこの土砂災害によるものでした。まとめ
震災はこうした直接的な被害だけでなく、ライフラインである電気、ガス、水道、電話の麻痺や道路の大渋滞などを引き起こし、社会生活にさまざまな障害をもたらします。こうした障害が、一刻を争う消火活動、救助活動、医療活動などを妨げるケースも少なくありません。ひとつの被害が次の被害を引き起こし、さらに次の被害に結びついていく。震災は、こうした災害の連鎖性を示す代表的なものです。e-カレッジでの学習
e-カレッジには、私たちが逃れることのできない地震災害に備えるためのさまざまなレッスンが用意されています。少しずつでも結構ですので、是非、受講していただければと思います。 |