今村 明恒
今村 明恒 Akitsune Imamura

今村明恒(いまむらあきつね)
1870年(明治3年)-1948(昭和23年)

 「不意の地震に不断の用意」東京有楽町駅そばの数寄屋橋公園にある関東大震災の記念塔に記されている警句です。ここで紹介する今村明恒先生らによって、全国から応募された中から選ばれました。
 今村先生は、明治から昭和前期にかけ、東京帝国大学の地震学者、日本地震学会の会長などの立場から数多くの業績を遺されました。特に、地震と震災を峻別し、「元来地震は地殻の振動であって、人力を以て制御し得べからざる自然現象であるが、震災は造営物に対する地震の影響が主であって、人自ら招く災禍であり、努力の如何によりては之を防止し得べき人為的現象である。」との観点から、震災軽減のための取り組みを強く訴えました。

 先生は、明治38年、雑誌太陽に「市街地における地震の損害を軽減する簡法」と題する論文を発表されました。その中では、(1)過去の大地震が平均100年に1回の割合で発生しており、直近の大地震からすでに50年を経過していることを踏まえると、今後50年間に大地震に見舞われることを覚悟しなければならないこと、(2)東京が大地震に襲われた場合は合計10万ないし20万人の死者が生じる可能性があることを示し、被害を軽減するための方法を詳しく解説されました。発表の翌年、この論文が新聞で「予言」としてセンセーショナルに取り上げられ、社会的影響を懸念した上司の教授と対立しました。その約20年後の大正12年9月1日、関東地震が発生し、関東地方は先生が恐れた大震災に見舞われることになったのです。
  その後、一躍脚光を浴びた先生は、「地震博士」として執筆、講演などを通じ、震災対策の必要性を以前にも増して訴え続けました。特に、防災教育については、地震国であるにもかかわらず小学校の教科書に地震が取り上げられていないことを憂い、文部大臣をはじめとする関係者にねばり強く訴え、今日改めて注目されている「稲むらの火」などが教科書に取り入れられました。
 本師範室では、先生の業績の中から、基本的な考え方を端的に記した「地震に対して武装されたる町村と武装なき町村」及び"稲むらの火"について解説した「「稲むらの火」の教方に就て」の一部を紹介します。
 先生はある著作で、関東大震災を受け、「既往は追ふべからず。要は今後斯様な災禍を再び繰返さないことにある。成程関東では当分静穏な状態が続くであらう。併し永い期間の後には又々活動が繰返さるべきは疑いを容れない。況や我帝国の他の地方にはこれと想像せられる場所もある。」と記されました。関東大震災からすでに80年余が経過し、阪神・淡路大震災、鳥取県西部地震、芸予地震、十勝沖地震、新潟県中越地震など各地で大きな地震が続いています。改めて、今村先生の声に耳を傾け、「不意の地震に不断の用意」を心がけたいと思います。

(参考)
今村明恒 『鯰のざれごと』 三省堂 1941年
武者金吉 『地震なまず』 東洋図書 1957年 *1995年明石書店から再刊
山下文男 『君子未然に防ぐ-地震予知の先駆者今村明恒の生涯-』 東北大学出版会 2002年
産経新聞 2004年4月19日~4月23日 「凛として 10-14」(地震予知の先駆者今村明恒)

(注)
関東大震災の記念塔は、震災共同募金会が朝日新聞の後援を受けて昭和8年9月1日に建立したものです。関東大震災から10年を迎え、人々からその震災禍が忘れ去られようとしていたときで、改めて震災について多くの人々に認識していただくために行われた事業でした。

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