日野原 重明
1.日野原重明先生 インタビュー

私は昭和12年に京都大学の医学部を卒業して医師になったのであります。それ以来、大学の医局に残ったり研究をやったりして、そして昭和16年に今私が理事長をしている聖路加(せいるか)国際病院の内科医として就職したんです。私は医師になってから、ちょうど66年間経過して、今でもこの聖路加国際病院に入院している患者の回診をしたり、あるいは外来で患者を診るというふうなことを行っております。ですから、私ほど長い間、現役で、病む人、あるいはその家族の方々、そしてまた治療が困難な癌の末期の患者さんを世話する、そういうふうな方々の臨床に、私ほど長く従事した医師はあまりないと思います。 そういう経験から私が感じますことは、医師や看護師の仕事というのは病む人の命をできるだけ長らえさせる以外に、苦しい病気に耐える力を傍で与える援助の仕事をするっていうのが我々の仕事のたてまえでありますけれども、そういう仕事に長く携わっていますと、一体人の命というのはちょっとしたことで失われる。

伝染病にかかる、自分が不始末ということもあるかもわかりませんが、食べた物が悪かったとかということで、あるいはまた、年を取って抵抗力が落ちている老人が簡単に肺炎になって亡くなるということもある。そういういろんな慢性や急性の病気で人の命が失われるにつれですね、私たちはどうすればそういうことがないように援助できるか。病気になってしまった方々にはどうすればその苦しみを少なくし、そして寿命をできるだけ長くさせることができるかっていうことをずーっと考えてきたわけです。 それにつけても私は人の命というものは与えられたものであって、私たちは気がついたら地球に生まれていた。その自分を意識するっていうのは、小学校から中学校に入る頃になると自意識が出て、人間の個性というものが出てくるわけでありますけれども、とにかく私たちが気がついたら命は与えられているもの、その命を両親から与えられた命をどういうふうにして使い、最後にどうお返しをするかっていう、そういう私たちは与えられた、自分が自分で作ったんじゃない、与えられたものをどういうふうにしてお返しをするかが生涯の私たちの仕事として与えられている、これは全ての人がそうである。 ところが途中で病気にかかったり、地震や火事やあるいは戦争にあって、そして命が取られたり不本意に命を失うような不幸な出来事がたくさんあるわけでありますけれど、その不幸なことが起こっても、どうすればその不幸の中にでも命が、より安全に守られればいいかという、そういうふうなことで、あのニューヨークの9・11事件のように、あの救急士は、消防隊はね、自分が死ぬことを覚悟で高いビルからどんどんどんどん逃げてくる、その階段を降りる、逆にそういう残っている人を助けるために行くっていうのはまるで犠牲的なことでありますけれども、職務上やっぱり自分の命を捨ててこうやっているような人々が、やはり職業の人々があるっていうことを一般の人もやっぱり考えなくっちゃならない。 ですから命を考える場合に命のことを預かってお世話する医師や看護師以外に、消防隊や救急隊のような人、それと同時に今度は患者さんや家族の人や、自分がどうすれば自分で命を安全にもっていくかっていうことを、自分の力でね、どこまでできるかということをですね、自分で考えて努力するっていう、この面が必要であると思うんです。

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