日野原 重明
3.日野原重明先生 インタビュー

今ですね、録音しているこの場所は、これは70年以上前にできた聖路加病院の創設者のトイスラー先生が住んだ家で、それが隅田川の川辺の芝生の所にあったのを壊して、そうして保存をして、そうしてここに新しく組立てて、床以外は全部古いものを使っているんですが。私はいろんなことを経験し、11年前に病院を520床の病院を作る時に、災害が起こった時にこの病院を活用するためには、空襲を受けた時のように大勢の人が来るから、520床じゃ十分でないからといって壁とそれから向こうの病院の中にも礼拝堂があるんですがその廊下やラウンジや礼拝堂の壁に酸素のパイピング、それから吸引するパイピングをもうちゃんと設計で入れてもらった。 ですからあのサリン事件が、地下鉄サリンが平成7年に起こった時に全部入院させなさいって言いました。640人の人をもう520床の病床の8、9割は人が入ってたと。

わずかに空床はあったけれどね、それ以上の病床をそのチャペルとかラウンジとかあらゆるところに私が収容できたのは、用意されたこの施設を持ってるという。それからちょうどですね、あの年にはサリンの事件より前にあの阪神の大きな地震がありましてね。そうして病院は壊れたり、そうして人工透析をしている患者さんは水がたくさんいるけれど、水がないから透析の患者はもうできなくなって、そうしてヘリポートもヘリコプターも来ないっていうことで透析の患者さんは亡くなった人がいるんですが、大阪まで運ばないとできないっていうふうなことを聞いてたんで、私はですね、この今いるトイスラー館を再現する時、地下に、15メートル四方のプールを作って水道水をこの建物の地下に入れて、そうして循環をするために昼間は、これは小さな流れにして使ってるんです。 だから東京に今度の大震災が起こった時にはこの病院に患者さんが来ても水では困らないよという、もちろん病院の上に水槽が、タンクあります。それにはですね、飲む水槽と工業用水槽ですね。そういうふうなただトイレなんか洗う、その水は飲料水でもないからというんで、その2通りの水タンクがあるんですが、どうもそれでも足りないというふうに聞いて、思ったんで、これをですね、病院ができた後これを再現したんですが、この地下に、それを私は作ったんです。ですから私たちは命を守るためには、お金がいる、時間を掛ける、手間を掛けてもね、それに対して予防的な処置をしなくちゃならないという意味で、私たちの病院というふうなものや、あるいは公立の病院は、そういう、いざという時に役に立つ投資をやはり私たちはすべきじゃないかと私はこういうふうに思っておりましてね。今までの長い66年の経験の中から得たものをこの病院において具現をしようと思って、今日まで努力したんです。

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