日野原 重明
4.日野原重明先生 インタビュー

しかし人はどうせ病気になるっていうことはある、当人がいくら気をつけても病気の伝染、伝染病にかかるっていうことがありますから、そういう時にはここの病院でも救急医療センターを造って1次2次3次全部ですね、軽い人、中程度の人、重症の人を全部収容できる救急医療センターを私たちは同時にくっつけました。この病院はこの地域の人のために医療に昼も夜もお正月も、休みなく使われているんです。 と同時に、この周辺の人に自分で血圧の測り方をどうするかとか、心臓が止まったら蘇生術をどうするかということを素人の住民にも教えて、彼らがそういう救急処置ができるような教育活動を同時にやっております。ですからこういうような病院というのはただ悪い人が入院しているんでなくて予防し、そして救急にも対応し、そして家族の人もその救急の体制に参与できるように、そして入院から退院した時にできるだけ早く家に帰って、そして家庭で、彼らの手で、あるいは時にはヘルパーさんを頼んで介護の手で、その在宅で、病人が後のリハビリをやる、こういうことを今やりつつあるわけであります。

病院というのはそういう意味で予防からリハビリまでに、ずーと全体のシステムを考えてやっているものでありますのでますます病院数が、従業員が増えたり、たいへんです。システムは大きくなるんです。今1200人、あるいは1300人になろうとしているほど多くの人がおります。ここの病院はこの日本のどの病院よりも看護師さんが数が多いということが特徴で、人件費が増えますけれども、やはり看護師のやる役割っていうのは非常に大きいですから、私たちは医師が高くとまって命令だけをするんではなしに本当実質に働く看護師さんがやはり数多く親切なケアをするように訓練をし、ここの大学には看護大学っていう日本で最初にできた私達の、これは大学ですよ。看護大学ですが、今は修士のコースも博士のコースもありますが、今度この聖路加看護大学はね、この少し50、60メートルの町に入った所にある別館を買収して、そこで社会人が看護を研究をするっていう意味で修士コースを今度開くことにして、今4月から新入生を全部募集するっていうそういうふうな教育のことをやっております。 それが聖路加病院のトイスラー先生が夢に見た100年前、ちょうど100年前に夢見たことを私たちがこの21世紀の日本において、東京においてこれを具現をしているっていうのは私たちの仕事であり、私は理事長ですから、院長はですね優秀な方がしておられますけど、その財政的な、あるいは社会的ないろんなこの計画を立てるプランニングの責任者としてわたしはもう92歳を過ぎたんですから、そんなに高齢ですけれども幸いに健康に恵まれているんで今なお現役でやっているというのが私の姿であります。

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