土砂災害対策(監修:岩松暉 鹿児島大学名誉教授)
7.祖先の知恵に学ぶ

昔は土木技術が未熟だったせいもありますが、祖先たちは、自然災害とは、「敬して遠ざかったり、あるいは適当にいなしたり」と 、ほどほどに仲良くつき合ってきました。災害文化があったのです。敬して遠ざかる、つまり危険回避について鹿児島を例にお話ししましょう。
この写真は典型的なシラス台地の地形を示しています。台地があって、急ながけがあり、その下になだらかな坂があります。このスロープが終わって平地になるところ、左下端の木の生い繁った公園が西郷隆盛の屋敷跡です。このスロープの部分こそ崖錐、つまり崩積土の堆積地形であり、がけ崩れの土砂に襲われる恐れの強いところなのです。昔の人はそれを知っていて、この部分は自然の領域・神の領域として利用しませんでした。

雑木林として放置しておき、薪や筍を採りに行くところ、せいぜい利用しても畑程度だったのです。恐らく西郷屋敷も山際の閑静な住宅だったのでしょう。戦後、人間が自然の領域を侵して近づきすぎたために、土砂災害が起きるようになったものと思われます。 また、江戸時代、農村部では三畝制をとっていました。自分の土地を畑三畝・家三畝・田三畝と3等分にし、がけに近い順から畑・宅地・水田と配置するのです。水の乏しい崖錐は畑、水の豊富な低湿地帯は水田とし、中央の低台地を住宅としました。低台地には崖錐の下から湧き水が出ますので、飲料水になります。大変理に適っていて感心します。それに、たとえがけ崩れがあっても、畑は被害に合いますが人は助かります。
その他、鹿児島には危険分散のために、門割という土地を定期的にくじ引きで交換する土地割替制度もありました。

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