土砂災害対策(監修:岩松暉 鹿児島大学名誉教授)
8.天狗の踊り場

危険回避について土石流の例を挙げます。鹿児島では土石流扇状地を「洗い出し」と呼んでいます。鹿児島弁では「あれだし」と言います。写真のように、今も地名として残っているところがあちこちにあります。藩政時代、薩摩藩は外様大名ですから、幕府からお手伝い普請など何かと出費を迫られたので、8公2民といった他藩に例を見ない過酷な税制を採っていましたが、それでも洗い出しは土地利用させないようにしていました。土石流災害で農民を失うことは、僅かな年貢収入よりも封建領主にとっては痛手だったからなのです。

針原も、昔は関所の外側、関外(せきがい)と言われ、人は住んでいませんでした。一寸の土地を奪い合った戦国時代、薩摩、肥後のどちらも土地利用しなかったのです。結果として、両国の間の非武装中立地帯になっていました。やはり、土石流常襲地帯だということを熟知していたのでしょう。実際、現地に行ってみますと、針原川だけではなく、どの川もみな石がゴロゴロしたいわゆるガレ沢、つまり土石流渓流です。土石流が海まで流れ出て、せり出しているのが地形図でもはっきりわかります。

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